西尾 宗次 〜真田幸村(信繁)を討ち取った武将〜(福井藩)

大人気のまま最終回をむかえた「真田丸」。
ドラマ内では主人公である真田幸村(信繁)の最期は切腹で
佐助がその介錯をしたように描かれておりましたが、
史実によると幸村の最期は、
福井藩の武将の西尾宗次(仁左衛門)に
討ち取られたようです。

西尾宗次は福井藩主・松平忠直の家臣で、
大阪夏の陣では越前松平家鉄砲頭として参戦しています。
通説では安居神社(大阪市天王寺区)の境内で
傷つき疲れた身体を休ませていた幸村に偶然出会い、
「儂の首を手柄にするように」と最後の言葉を受け
討ち取ったことになっています。

しかし最近発見された史料には
「やりを交えて戦った」
ともあり、その真相は謎です。

幸村最期の史実はいくつかありますが、
西尾宗次に討ち取られたことだけは事実のようで、
その証に幸村の”首塚”は福井市の「孝顕寺」
(初代福井藩主結城秀康と西尾家の菩提寺)
にありました。
ありましたというのも、今は痕跡も残っておらず、
同寺でも境内のどこにあったかは今となってはわからないとのことらしいのです。

西尾家に伝わる文書によると、首塚に埋められたのは幸村の鎧袖で、
首は真田一族に奪い返されるのを恐れ、さらに別の場所に埋葬され、
その場所は西尾家一子相伝の秘密だそうです。
ということは、西尾家のどなたかはその場所を知っているのでしょうか。

その場所を調査して新たな事実を知りたい気もしますが、
謎のままにしておくほうがロマンがあっていいかもしれませんね。

◇孝顕寺◇
JR福井駅からバスで10分
福井県福井市足羽1-7-16

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